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青年海外協力隊の平成22年度第4次隊員として、2011年3月から2013年3月までアフリカのガーナに派遣されています。ガーナの真ん中ら辺にあるのどかな田舎の高校で、コンピュータの授業を担当しています。


by エスパー

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被災③

25名の隊員を載せたバスは、夜通し走り続けました。

国道4号線をひたすら南下しました。


福島県全体がゴーストタウンと化していました。

夜とはいえ、国道付近がこんなに暗いのは、まず考えられない不自然な状態でした。
被災③_b0207724_18561045.jpg



道中、ほとんどの店は閉まっており、

24時間営業のはずのコンビニやガソリンスタンドも、開いている方が少ないくらいでした。


ようやく見つけた営業中のコンビニでも、

断水でトイレが使えなかったり、ほとんどの棚が空っぽになっていたりなど、

災害の脅威が広がっていることを改めて認識することができました。
被災③_b0207724_191320.jpg



途中、幾度となく渋滞に巻き込まれました。

おそらく、我々と同じように避難された福島県民の方が多かったのでしょう。


訓練所を去る間際に二本松市民の方から頂いた温かい非常食のご飯も、

我々には本当に有難い差し入れとなりました。
被災③_b0207724_1944914.jpg




バスは栃木、埼玉を経て、ついに福島を発って9時間後、

深夜3時過ぎに、東京・幡ヶ谷にあるJICAの施設に到着しました。



ほっと一息つく間もなく、着いてすぐに、

二本松訓練所平成22年度第4次隊、145名全員の無事が報告されました。

誰からともなく、安堵の声が上がりました。


また、この施設では新幹線組とも合流することが出来ました。

あの日、2時半過ぎに郡山駅を発車した新幹線は、

福島と栃木の県境あたりで被災したそうです。


その瞬間、脱線、転倒かと思うぐらいの大揺れが起こり、新幹線は急停車して、

そこで乗客は10時間近くも電気の通わない車内に缶詰めになったそうです。


その後、そこからJRの手配で那須のホテルまでバスで運ばれ、

数百人の人たちと雑魚寝で一夜を明かし、さらに翌日、JICAの手配したバスにより、

那須から東京のこの施設まで運ばれたそうです。




そして私たち二本松から遠路はるばるやって来た25名の訓練生が、

この施設に到着した最後のグループになりました。


宿泊部屋は前の客が使ったままでしたが、この際贅沢なんて言ってられません。

屋根のあるところで一泊できるだけで、御の字でした。

2日ぶりの風呂に入り、2日ぶりにベッドで横になることができました。



翌朝、昨日から何度繰り返したか分からない、

荷物のパッキングと仲間との別れを済ませました。
被災③_b0207724_199215.jpg

被災③_b0207724_19165512.jpg


もうこれが本当に最後の別れになることを祈って・・・。



施設を出た後は幡ヶ谷駅まで徒歩で移動し、

そこから新宿→品川と電車で移動しました。


品川駅で、何日ぶりかのまともな食事にありつくことができました。

ここに来るまでは、普通に食べることのできた、何の変哲もないラーメン。
被災③_b0207724_19211428.jpg


でも、そんな一杯のラーメンの温かさが、生きていることを実感でき、

食べているうちに自然と涙が溢れてきました。


このラーメンの味は、一生忘れることが無いと思います。



12時半頃に、東海道新幹線で東京を発ちました。

被災してから何十時間も費やしてやっとのことで来られた、

それくらい是が非でも来たかった、命からがらやって来たその都市は、

みるみるうちに小さくなりました。



2時半には我が家の最寄り駅の岐阜羽島に着き、

3時過ぎには実家に帰って来ることができました。


ようやく落ち着いてテレビのニュースを見ることができ、

事の重大さに改めて気づくことができました。


無傷で帰宅することが出来たのは、本当に奇跡だと思っています。

そもそも全員でバスに乗れたことだけでも、本当に恵まれていたと思います。


それもこれも全て、私たちの安全を第一に考えて

迅速かつ的確にサポートしてくださった、JICAスタッフの皆様のおかげです。

この場を借りて、厚く御礼を述べさせていただきます。

本当にありがとうございました。



そして、他の隊員のみんなと最後まで一緒に居られたことが、本当に幸せでした。

たぶん、一人だったら、どこかで挫けてたと思う。

みんなと居られたから、この混乱も困難も、乗り越えられたんだと思う。


でも、みんな基本的にボランティア精神を持った人たちの集まりだから、

誰しもがリーダーシップを取って行動するんですよね。


長蛇の列の公衆電話に並んで救援を要請してくれた隊員、

寒空の下、みんなのために温かい飲み物を振る舞う隊員、

雪が舞う中でも、自分の犠牲を顧みず、知らない人に服を貸した隊員。


看護師の隊員は地震ではぐれた子供たちを親身になって助けるし、

建築士の隊員は建物の耐震強度について語るし、

月並みな言い方だけど、助け合うということが、本当に大切だと思いました。



2011年3月11日は、

色々な意味で一生忘れられない日になりましたね。
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by ito_akihiro | 2011-03-14 23:59 | 被災