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青年海外協力隊の平成22年度第4次隊員として、2011年3月から2013年3月までアフリカのガーナに派遣されています。ガーナの真ん中ら辺にあるのどかな田舎の高校で、コンピュータの授業を担当しています。


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2011年 03月 12日 ( 1 )

被災①

とりあえず、生きてます。

ありのまま、私の目の前で起きたことを書きますね。



2011年3月11日午後2時46分、私は福島県の郡山駅にいました。

1時間後の新幹線の待ち時間を潰そうと、喫茶店に入って席に着いたその瞬間です。


最初は「あ、揺れてるな」ぐらいの感覚だったのですが、

徐々に椅子に座っていることすらままならなくなり、客はみんな机の下に隠れ、

あちこちで悲鳴があがりました。


店内のすべての棚からは食器や商品が落ち、やがて倒れ、

天井も一部崩れ落ちてきて、現場はパニック状態に陥りました。


正直、ここで「死」も覚悟しました。


店員さんの指示で、なんとか揺れが収まった隙を見計らって、

貴重品だけを持って店の外に出ました。


目の前に広がるのは、天井が崩れたことによる土煙なのか、スプリンクラーからの水煙なのか、

とにかく“灰色”の光景のみでした。


幸い、建物が崩壊するような兆しはなく、さらに店のすぐそばに下の階への階段があり、

その目と鼻の先に出口があったので、私たちは比較的早く建物の外に出ることができました。


外に出ても余震が続いているため、建物からはなるべく離れるよう指示されました。

私たちはおなじ駅舎の中にいた仲間(隊員)と合流し、訓練所に救助を要請しました。


やがて雪も舞ってきました。
b0207724_853969.jpg

しかし、建物の中に戻ることは許されなかったため、ひたすら寒空の下で耐えました。


ようやく駅スタッフだけ内部の確認に戻れるということになり、

近くにいた人に頼んで、なんとか全ての荷物を持ってきてもらうことはできました。


救助のバスを待つ間、駅の近くを散策したのですが、

瓦やガラスが落ちて割れていたり、歩道の一部が液状化していたり、

信号機が折れて道に落ちていたりと、目を覆いたくなるような酷い有様でした。
b0207724_855094.jpg



夜7時頃、訓練所から救助バスが到着しました。

普段なら1時間足らずで来れる道のりなのですが、

渋滞のため、3時間ほどかけて来たようでした。


この時点で郡山駅に隊員は40人以上残っていたのですが、

全員は一度に乗れないため、2回のピストン輸送に分けることになりました。

私はかろうじて一便目に乗ることができました。


訓練所には2時間ほどかけて戻りました。

途中、亀裂の入った道路や、半壊した家などを見ました。


訓練所に戻ると、他の訓練生の安否報告がありました。

新幹線の中に閉じ込められている隊員、近くの公民館に避難している隊員、

空港で足止めを食らっている隊員など、ほとんどの隊員とは連絡が取れたのですが、

中には連絡が取れない隊員もいたようでした。
b0207724_8565098.jpg

b0207724_8581789.jpg

(写真は他の隊員提供のものです)


訓練所に戻っても、ライフラインは全て寸断されていました。

幸い、電気は自家発電で一部まかなえるため、非常灯のみ点灯しており、

まったく真っ暗の中で生活するという最悪の事態は避けることができました。
b0207724_8585822.jpg


先に戻ってきていた隊員が、食事を用意してくれていました。

もちろん非常食ですが、食べ物を備蓄しておくことのありがたみを非常に感じました。
b0207724_8595168.jpg


夜11時頃、郡山に取り残されていた組も帰ってきて、

計80人ぐらいで一夜を明かすことになりました。


個室を使うことはできたのですが、布団は使えないため、

けっきょく寝袋で一夜を明かすことになりました。
b0207724_10242977.jpg

慣れない寝袋に加え、余震も止まらないため、非常に不安なまま眠りにつくことになりました。




つづく。
by ito_akihiro | 2011-03-12 23:59 | 被災